青いバラが作りたくて、サントリーに入社
不可能と言われていた青いバラ作りに挑戦していることがおもしろくて、サントリーに就職したいと思っていた勝元さん。入社してまもなく、本格的に青いバラの開発チームに入りました。どうせやるなら難しいことに挑戦してみたかったので、希望がかなってうれしかったといいます。
勝元さんの仕事は、主に青いバラのもとになるバラの準備をして、遺伝子を入れていく作業。そして遺伝子の入ったバラを育てて評価することまで多岐にわたっています。最先端のバイオテクノロジーといっても、植物を対象にした実験は手間も暇もかかる地道な作業の連続で、たいへんなことも多かったけれど、好きなことをしているので、少しもつらくなかったそうです。
失敗の連続に負けず、挑戦は続いた
遺伝子組換えで青いバラを作る手順は、青い色素を作る植物の遺伝子を取り出し、それをバラの葉から誘導した細胞に入れて、ふたたび植物に再生するまで培養して、温室で花が咲くまで栽培するという根気と時間の必要な作業です。
しかし、実験は最初から失敗の連続でした。いろいろ工夫してようやくバラに遺伝子を入れられるようになりましたが、咲かせても咲かせても、色が変化するどころか目的の青色色素をまったく作ってくれない、という苦しい状況が何年もの間続きました。
「青い色素の遺伝子は、最初はペチュニアの花から取ったものを使っていましたが、うまくいかないので、他の様々な青い花から遺伝子を取り直して試すことにしました。その結果、パンジーの遺伝子がバラでうまく働くことがわかり、1996年にようやく青い色素をもつバラができました。でも、この段階での花の色は、青の色素の割合が低く、青というよりにごった赤。そこで次に、バラの品種を変えて実験を続けました」
「やってみなはれ」の言葉に支えられて
サントリーには、創業者の口ぐせの「やってみなはれ」というという精神があります。「おもしろいことならやってみなはれ。失敗しても、あきらめずにやってみなはれ」。開発チームのメンバーは、この言葉に支えられました。気が遠くなるような組み合わせの中から、青色色素が100%に近いバラがとれたのが2002年9月。開発が始まってから実に12年後、とうとう青いバラが完成したのです。
「不可能が可能になった! 」と、そのニュースは世界中で大きな話題になりました。ただ新しい品種の花を作ったというだけでなく、不可能といわれたことに長年取り組みつづけて、ついにそれを乗り越えたチャレンジ精神が、多くの人を感動させたのです。反響の大きさには、勝元さんたち自身も驚いたそうです。
苦労を乗り越えて咲いた花で、人が幸せを感じてくれたら!
「お酒も花も、人が生きていく上で絶対に必要なものではありませんが、人がよりいきいきと人間らしく生きるために大事なものだと考えています。私たちが作った花で、誰かがちょっとハッピーになったり、悲しい気持が少しでもいやされたりしたらうれしいな、と思っています。青いカーネーション『ムーンダスト』の花言葉は『永遠の幸福』ですが、青いバラも世界中の人々の幸せや平和を象徴するような花になってくれることを願っています」
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