人の世を動かす「なぜ」を考える
楠木 建 | 一橋大学 大学院国際企業戦略研究科 |
百歳になる祖母といっしょに住んでいる。「人の世に百年も生きていると、何回かは大変なことが起きる」。これが東日本大震災の直後の祖母の言葉だった。
地震や津波は自然現象である。自然現象には「意図」がない(これに対して「東京大空襲」には意図があったから恐ろしかったというのが祖母の感想)。人の世に関わりなく起きる。百万年前の人の世がなかった時代にも、こうした自然現象はときどき起きていただろう。しかし、人の世がない時代であれば、突然地面が揺れ、大きな波が押し寄せて引く、それだけである。大騒ぎにはならない。
人の世はサイエンス(自然科学)を発達させた。サイエンスの目的は自然を支配している法則の発見にある。法則とは「人によらない」ということである。サイエンスのおかげで、「誰がどうやろうと自然は普遍(ふへん)的にそのように動く」というメカニズムの理解を人間は手にした。もちろんまだ完全に解明され尽くしたわけではないが、地震や津波や原子力発電のメカニズムは分かっている。
ところが、地震や津波や原子力発電所の事故に攻められる側は人の世である。考えや好みや目的や立場や得手不得手(えてふえて)や事情が異なる様々な人々が、やりとりしたり協力したり利害を対立させたりして日々生活している。それが人の世である。
地震のメカニズムの理解や放射線の測定についてはサイエンスが教えてくれる。しかしサイエンスは人の世までは説明できない。大震災が起き、人々が様々ことを感じ、考え、行動をとる。実に多くの情報が人の世を飛び交う。「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どのように」についての情報量は、祖母が若いころに経験した関東大震災の比でないだろう。
しかし、ひとつだけ昔と変わらないことがある。どんなに情報量が増えても、その背後にある「なぜ」は教えてくれない。人の世にいる一人ひとりが自分で考えるしかない。「なぜ」は「論理」といってもよい。人の世を動かしているさまざまな物事についての「なぜ」についての理解を深める。ここに社会についての学問の目的がある。
莫大(ばくだい)な犠牲や損害と引き換えに、われわれは一体感を得た。ここまでは理屈ではない。人間の本性であり本能である。「ピンチをチャンスに」。この言葉が今ほどリアリティをもつことはない。さてどうするか。意志決定し行動を起こすためには、人の世の一人ひとりが自分なりの確固(かっこ)とした論理もたなければならない。人々が力を合わせて何ごとかを達成する。その基盤にある論理を考えるのが経営学という学問である。