自分の思想の言葉を鍛えて世界に向き合う
坪井 秀人 | 名古屋大学 文学部 |
3月11日の東日本大震災の直後、僕は台湾に1週間出張していました。入手できる日本の被害や原発の情報は限られ、またかたよっていて、現地のメディアの報道も衝撃的な内容が多く、一種の〈情報被曝(ひばく)〉の状態におちいりました。そこで、台湾の学生たちと語り合うセミナーでは、この震災を受けて考えたことに焦点をあてました。自分の無力と弱さを彼らの前にあえてさらけ出しながら、学生たちに何かを伝えたく3時間懸命に話し続けました。
日本も台湾も海に囲まれた島国で地震国であり、原発を抱え、新たな増設計画が進められています。台湾の4基目の原発は日本の企業が製作するもので、両国間に〈日台原子力交流〉なる事業があることもそこで初めて知りました。日本に戻って後もゼミ生たちと震災後の状況をめぐって議論を続け、関連する集会も開催しました。そして、これら震災後の一連の活動は、僕自身の研究の姿勢とも無関係ではないのです。
もともと文学研究の途(みち)を選んだのは、小説を読んだりするのが人並み以上に好きだったからというわけではありません。大学の文学部に入学した時は民族音楽の小泉文夫さんみたいな仕事にあこがれ、土地に伝承されている民謡などを調査し、それを現代の芸術に反映させることができないかなどと、途方もないことを考えていました。国文学という保守的な分野を選んだのは、言葉を武器にして右のような妄想に近い夢も叶(かな)えてくれるような〈何でもあり〉の世界を期待していたからです。
大学院に進んでから『都市空間のなかの文学』等の前田愛さんの仕事を始め、文学と他の学問分野をつなげる研究の可能性に目を開かれ、文化研究・思想研究の一環として文学のテクスト分析を行うという意識をもって仕事をしてきました。実学偏重の世界観も今のような危機の時代には変容していかざるを得ないでしょう。こういうときだからこそ文学を通して自らの思想の言葉を鍛え、世界と対峙(たいじ)していく姿勢が重要だと考えています。
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名古屋大学文学研究科日本文化学講座
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