福沢のすすめ~危機の時にこそ彼の精神を
巽 孝之 | 慶應義塾大学 文学部 英米文学専攻 |
福沢諭吉の名を聞けば、みなさんはたちまち、一万円札の表面を彩る顔とともに、彼が放ったベストセラー『学問のすすめ』を思い出すだろう。明治を代表するこの啓蒙(けいもう)思想家が近代日本の父であることは、すでに広く知られている。しかし、いまお伝えしたいのはむしろ『福翁(ふくおう)自伝』がいきいきと語る、危機の時代にあっても断じて学問することをやめなかった福沢諭吉のすがたである。
ときは明治元年(慶應四年)、すなわち1868年の5月15日。このころ旧幕府軍と新政府軍が火の粉を散らす戊辰(ぼしん)戦争は上野を舞台にクライマックスを迎え、江戸中がてんやわんやだった。かくして芝居(しばい)小屋から料理茶屋まで店じまい、世間は学校どころではない。
にもかかわらず、福沢諭吉は芝は新銭座の慶應義塾にて、アメリカ人学者フランシス・ウェーランドの経済書をひもとき、生徒たちに朗々(ろうろう)と講義してやまなかった。こうした戦時下の騒乱(そうらん)のただなかにあっても、自分自身の精神が独立し落ち着き払ってさえいれば、学問の灯は消えることがない。しかも、このころからむしろ西洋のことを知りたいという気風が蔓延(まんえん)し、入学者は後を絶たなかったというのである。かくして福沢諭吉は「日本国中いやしくも書を読んでいるところはただ慶應義塾ばかり」と豪語(ごうご)する。
わたしの専門はアメリカ文学を中心としたアメリカ研究だが、正直なところ、長く福沢の創立した大学に勤務しながらも、自身の専門と福沢との関係については、あまり考えたことがなかった。しかし、読み直せば読み直すほど、福沢が独立戦争や南北戦争など数々の苦難をくぐり抜けてきた近代国家アメリカから学んだものは決して少なくないのではないか、と思う。世界初の民主主義国家がうたった独立精神は、あくまで学問のうちに独立自尊の実現を見ようとした福沢精神のうちに日本的発展を見る。危機の時代を迎えるたびに、わたしは戊辰戦争下でも自身を保ち学問を続行した福沢のすがたを思い出すのである。
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