今回の東日本大震災では、私は個人的にロシアや中央アジア、米国その他の国の知人、友人たちから、お見舞いと励ましのメールや電話をたくさん頂きました。彼らが、驚嘆したことがあります。それは、日本の被災者たちは肉親や家をなくすという極限状況でもパニックにならず、略奪行為もなく、自制して互いに助け合ったことです。ここから、驚くべきこの日本の文化、社会、日本人についてもっと知りたいと、今改めて日本を論じている知人たちがたくさんいます。私も、日本の社会や日本人の心理について、説明を求められました。日本人として当然の行動でも、世界の常識でみると、驚くべきことなのです。ここに、国際関係の微妙さや比較文化の面白さがあります。
メールや電話をくれた友人たちの中には、大学教授や研究所所長、さらには大統領とか大統領府長官といった地位の人たちも含まれています。これらの知人、友人たちのほとんどは、私がロシアや米国に留学していた時に、共に学び、議論をし、遊んだ人たちです。彼らの招待で、この5月には国外で震災後の日本と世界の関係について講演もします。若い頃の親しい友人や研究仲間が、数十年経(た)ってもこのような結びつきを保っているのです。
専門は違っても、また国籍や人種、宗教が違っても、本気で何かに打ち込んで、それぞれの分野でしっかり仕事をしている人たちは、お互いに相手を「人物」として敬意をもって認め合うことが出来ます。それは、彼らがさまざまな事柄について、「自分の言葉」で語ることができるからです。学問をすることの最も重要な意義は、まさに「自分の言葉」で語ることにあると私は考えています。私はロシア、国際政治を研究しています。単に専門的な知識を獲得するのが学問ではありません。知識だけなら、百科事典にすぎません。それを「自分の言葉」で語るのが学問なのです。