東日本大震災は人の心に大きな衝撃を与えました。近しい人を失い生き残った人、さまざまな意味で生活を脅(おびや)かされた人、なお脅かされ続けている人たち。それらの人たちに近しい人たち。直接、被災はしていないが、そうした人たちの心中をわずかなりとも察しながら、自らの、そして日本の未来を考えている人たち。立ち位置はさまざまですが、この震災が心を揺さぶる大きな「危機」であると感じている人が大多数でしょう。
宗教学はさまざまな分野を含みます。イスラエルやインドなど遠い地域の古代に成立した聖典を丁寧に研究する者、西洋や日本の中世の人々の宗教生活を資料を通して読み取ろうとする者などなど。専門研究はさまざまです。しかし、専門は現実から遠いように見えても、現代人の心を宗教という観点から考えるという問題意識をもっている研究者は多いです。そこで問いかけます。震災は現代人の心にいったい何を刻みこんだのでしょうか。
さまざまなアプローチが可能ですが、宗教という観点から考えられることは少なくない。実際に宗教集団や宗教者がどのように行動してきたか、行動しているかに関心をもちそこから宗教と現実との関わりを問う研究方向もあります。聖典や宗教史を見直しながら、震災で生じてきた悲しみ、痛み、困難そして希望についてどのように受け止めていけばよいか、考え直そうとする研究方向もあります。
福島原発の事故によって生じた重い問題も宗教学からの問いかけが可能です。そもそも人間と環境、科学技術といのちの関係をどう考えていけばよいのか。つきつめて考えようとすると、合理的な理論だけでは解決がつかない世界観の問題にぶつかります。そして世界観は宗教伝統と切り離して考えられないものでしょう。世界の諸文明の考え方の違いをいつも念頭においてものごとを考えるのも、宗教学の特徴です。