CMの「上を向いて歩こう」はなぜ心に響くのか?

岡田 暁生   京都大学 人文科学研究所
音楽学 /研究領域:西洋音楽史 ]

人間は物語がなくては生きていけない存在だと、つくづく思う。「どうして私は今ここでこうしているんだろう?」、「これから一体どうなるんだろう?」、「これから私は何をすべきなんだろう?」 ―自分が今ここにいる意味が分からいほど辛いことはない。人は誰しも、自分の過去と現在と未来をつないでくれる「ストーリー」がほしい。そしてこの大きな物語の中に、自分を位置づけたい。

平時であれば、こういう「マイ・ストーリー」のお手本にするものは、いくらでもある。テレビの連ドラなどはその典型だ。恋愛や友情や親子関係についての悩みについて、これらは一定の答えを与えてくれるだろう。「これって僕と彼女の関係にそっくりじゃん!わかるわかる…」―こんなかんじで納得できると、人は安心できる。だが時として、そんじょそこらの物語ではとても説明できないことが、何十年も生きていると必ず起きる。

3.11以後がまさにそれだ。並みのテレビドラマや励ましソング(CM)では、とても歯が立たない状況が到来しているのである。人間は「意味」について納得できれば、たいがいのことには耐えて生きていける。しかるに今の私たちがこんなにも陰鬱(いんうつ)な気持ちでいるのは、今起きていることをちゃんと意味づけてくれる物語を、誰も語ってくれないからだ。

歴史や文学や芸術に出番が回ってくるのは、まさにこういう状況においてである。「関東大震災のときは、戦争直後の焼け野原になった日本では、一体どうだったんだろう?」、「人々はどんな希望と絶望を抱えて、何をやろうとしたんだろう?」 歴史=ヒストリーもまた、一つの物語=ストーリーだ。また文学は言うまでもなく、音楽だって一つの物語である。サントリーのCMで流れる「上を向いて歩こう」など、今からちょうど50年前の歌だが、今日なお、どんな政治家の言葉よりも、よほど「生きている意味」について確かな物語を与えてくれる。歴史/文学/芸術を知るとは、過去の叡智(えいち)に向かって「私たちは今どう生きるべきなのですか?」と問うこと以外ではありえない。

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おかだ・あけお/1960年京都府生まれ。
いわゆるクラシック音楽の歴史について研究していますが、最近はジャズにのめりこんでいます。音楽は決して単なる娯楽ではなく、人間が生きていくうえで絶対になくてはならないものだと痛感するこのごろです。

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