私の場合、中学生の頃、将来ことを考えて学んだのではなく、今の自分を変えるために学んでいたのだと思います。進んで学ぶことをしなかった頃は、人目ばかりを気にして過ごしておりました。しかし、勉強すると自分が出来ることが増えるような気がして自然と人目を気にすることがなくなりました。この心地よさが私の学びのきっかけだったかもしれません。
しかし、勉強が楽しかったかというと、中学校や高校の学びは何か修行をしているような感覚もありました。ルールを覚えることが多い。そのことは私の基礎になっておりますが、ルールを的確に組み合わせて再現することや限られた時間に行うことを点数として評価されることを修行と感じたのかもしれません。当時はそれらをほぼ完璧に出来る「優秀な人」に感心もしました。
いま、大学の教員として見れば、ルールを的確に時間内に再現できる人は、先に勉強し、相当の訓練をしていたということに気付きます。なぜなら、大学に入ると、学年を先取りして勉強をしている人は、残念ながら激減し、中学校や高校の「優秀な人」は影をひそめてしまいます。学ぶことの面白さを感じ、進んで自分の知恵にできる人が優秀になってきます。
日本は、この度の震災によりこれまでに経験のなかったことにも対応がせまられています。多くの人の意見に耳を傾けながら、自分の考えを作り、それを行動に移していくためには、これまで以上に自らの知恵が必要です。このことが、責任感となり、人に迷惑をかけずに生きる、人の役に立つことにつながると思います。その知恵は、おそらく、好きなことばかりしていてはバランスを欠いたものになってしまいます。大人になると自然に嫌なことを遠ざけますから、中学校や高校時代に学んだことがその基礎になります。知恵となることを一つ一つ増やしていく。それはいまの自分にとっても、大学で一緒に研究をしている学生さんにとっても大切なことと言えます。