「なぜ学ぶのか」と自問すると、私の場合、個人的動機が出発点にあるようです。
私が中学・高校時代を過ごした1960年代は、高度経済成長期のただなかで、日本の社会が大きく変わった時代でした。日に日に生活が豊かになっていくのを実感することができました。しかし、それと歩調を合わせて、身のまわりから姿を消していくものがありました。幼いころトンボを追いかけた野原やドジョウを捕った田んぼが整地され、新しい住宅が建ちならびました。潮干狩りにいった海が埋め立てられ、団地や工場ができました。各地で公害が深刻な社会問題になったのもそのころです。
社会が豊かになるのはうれしい。しかし、思い出がつぎつぎに消えていくのは寂しく、つらいものでした。豊かな暮らしと、豊かな環境、豊かな思い出をバランスよく両立させることはできないのだろうか。私は大学で「都市工学」を学びましたが、この専門分野を選んだのは、ひとつには失われた環境を再生したいという気持ちからでした。
皆さんも「なぜ学ぶのか」と自問してください。誰もが個人的に大切なものを持ち、いろいろな悩みを抱えていると思います。それが出発点です。また、今回の震災のように、多くの人に直接・間接の大きな打撃を与える社会的事件があります。それも出発点になります。人が学ぶ動機はさまざまですが、それが個人的でも社会的でも、大切なものを守りたい、悩みを解決したい、困難に直面している人を支えたいという思いは、もっとも根源的で持続性のある動機です。そして、持続的な学びは専門的知識や技術だけでなく、広く深い視野を育て、社会に役立つ豊かな人間力を養います。