「ダモクレスの劍」になった原子力~経済学へのきっかけー

伊藤 誠   東京大学 名誉教授
政治経済学 /研究領域:価値論、恐慌論、現代資本主義論 ]

東日本大震災には心が痛みます。子どものころ経験した悪夢のような戦災の風景とも重なって。多くの被災者の方々の辛苦が思いやられてなりません。

たまたま祖父も父も工学系を専攻し、兄もその跡を継ぐように育ちましたので、私も子どものころから将来は科学技術の分野で仕事をしたいと考えていました。敗戦のショックや戦後民主主義への解放感はそれなりに感じていましたが、すぐに志望が変わることはなかった。

そのまま大学受験が近づいて、英語の勉強のつもりで読んだのが、イギリスの数学者で哲学者でもあるバートランド・ラッセルのLiving in an Atomic Age というパンフレットでした。それは、1951年にBBCで放送された講演で、わかりやすくきれいな英語でつぎのようなことを述べていました。

「科学技術は、もともとは人間の社会を豊かにし、幸せにする目的で開発され、科学技術にたずさわる人びともいちようにそれを信じて努力してきた。ところが原子力が原子爆弾に使われ、広島、長崎に投下され、その原爆の脅威が冷戦構造と結びついて世界の人びとに深刻な不安の影を落とし続けている。科学技術は、もはや一方的に人間の幸福や福祉の増進だけに役立つものではなく、人類が絶滅する可能性さえもたらしている。人類にとっていわばダモクレスの剣のような役割に転化してしまった。これはいったいなにを意味しているのか、どうしたらよいのか」

これを読んで私はほんとうにびっくりして、科学技術の勉強をして、人間社会の福祉にかならず役に立つのかということを考え直さざるをえなくなった。ラッセルはこの問題に十分な答えは出していなかったのですが、その答えが工学や自然科学では与えられないであろうということは、私にもはっきりわかった気がしたのです。そこで志望を変えて社会科学を学んでみたいと考えたのです。

いま大震災のなかで、自然と人間と科学技術の関係性が、近代以降の資本主義の発展をつうじ、どのような危険や偏(かたよ)りをもたらしてきているか、あらためて反省し点検し直さなければならない状況にあり、そこに重要な諸問題が現代的に再浮上しているのではないでしょうか。なかでも原発損壊の災厄(さいやく)は、世界の人びとに衝撃を与えています。ダモクレスの剣はいまも取り去られていないのです。社会科学としての経済学は、こうした問題にも考察の基礎を与える学問です。初心忘るべからず。私も勉強を続けましょう。

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いとう・まこと/1936年生まれ。
資本主義市場経済の原理の研究と、それにもとづく世界経済と日本経済の現状の分析、ならびに現代の社会主義論。『伊藤誠著作集』全6巻(社会評論社)を刊行中。

被災された生徒・先生方へ

ご苦労が折り重なっておられることと推察しています。そのなかで、何のために学ぶのか、なにを重視して生きるのか、根本的な問いも心に浮かぶことでしょう。その問いをどうか大切に勉学と教育に活かしてください。未来のために。

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