収集したデータのすべてを失った文化人類学者がいた

栗田 博之   東京外国語大学 外国語学部
文化人類学 /研究領域:文化人類学理論研究、親族研究、セクシュアリティ研究 ]

世界諸地域の文化や社会の比較研究を行う文化人類学は、第二次世界大戦後本格的に日本に移入された比較的新しい学問である。研究者自身が自ら異なった文化の中に身をおき、現地の人々と直に接しながら、聞き取りや観察などによってデータを収集するという、一般に「フィールドワーク」とか「現地調査」とか呼ばれる手法を駆使(くし)して研究を進めるという点を特色とする。

文化人類学者はフィールドワークで収集したデータを「フィールドノート」と呼ばれるメモ帳に書き貯(た)めておき、調査終了後それを整理・分析した上で「民族誌」として公刊する。そして、この民族誌が世界中の文化人類学者が比較研究を行う際に参照する基本資料となるのである。従って、フィールドワークで収集したデータがぎっしりと詰まったフィールドノートは、文化人類学者にとって「命の次に大切なもの」とされる。

しかし、このフィールドノートをすべて失ってしまった文化人類学者がいる。20世紀後半、イギリスの社会人類学を牽引したエドマンド・リーチという学者である。リーチがビルマ(ミャンマー)の高地地帯で生活するカチン族の間でフィールドワークを行っていた最中、第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したため軍務に服すことになり、日本軍との戦いの中で、フィールドノートを含め、1年余りかけて収集した調査資料すべてを失ってしまったのである。普通であれば、研究者としての道を断念してもおかしくはない程のダメージである。

しかし、リーチは、帰国後、自らの記憶をビルマの高地地帯に関する様々な既存の文献資料で補(おぎな)いながら、民族誌を執筆し、『高地ビルマの政治体系』と題して出版した。この著書は現在でも文化人類学を志す学生の必読書とされ、古典としての名声が確立している。リーチがフィールドノートに記された細かなデータの分析に拘泥(こうでい)していたならば、これ程の名作が生まれなかったかもしれない。まさに、「災い転じて福となす」の典型であろう。

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くりた・ひろゆき/1954年神奈川県生まれ。
パプアニューギニア南部高地州ファス族の文化人類学的研究。主な研究テーマは、社会、政治、宗教などであるが、研究対象地域や研究テーマにとらわれない総合的な研究を目指している。

被災された生徒・先生方へ

恵まれた環境がすぐれた成果を生み出すというのはある程度正しい。しかし、先に紹介したリーチのように、ハンディキャップを負った者がすぐれた成果を生み出すこともある。与えられた環境の中での最大限の努力、これしかないだろう。

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