私が東京大学経済学研究科の院生として、本格的に経済学を学び始めたのは1974年である。当時の日本ではケインズ的なマクロ経済学が全盛期であり、財政金融政策を用いてマクロ経済安定化の議論がアカデミックなレベルでも様々な角度から行われていた。
学部時代から私は、マクロ動学モデルに関心があった。そして、大学院の1年目にダイヤモンド(2010年のノーベル済学賞受賞者)の世代重複モデルと出会った。彼の論文は、ある個人が若年期と老年期の2期生存して、1期ずれながら重なって経済に併存する2期間世代重複モデルを用いている。この世代重複モデルは貨幣の存在意義に関するテーマなどでも興味深い結果をもたらしたので、大いに注目されていた理論モデルであった。彼の論文は、このモデルに資本蓄積を明示的に導入して、公債(こうさい)発行と経済成長の関係を理論的に考察した。特に、公債発行の将来世代への負担転嫁(てんか)がその主要な関心であった。
このようなマクロ動学モデルに接したことから、私の研究がはじまる。そして、競争均衡(きんこう)でどのような場合に公債の負担が将来世代に転嫁されるのかに関して、理論の拡張結果を導出できたため、その成果を彼の論文が掲載されていたAmerican Economic Reviewに投稿することにした。しかし、日本語でもアカデミックな論文を本格的に書くのが初めてだったから、英文で書くのは相当苦労した。外国の学術雑誌に投稿するのも初めての経験であったが、運良く掲載された。
このような公債発行に関する理論研究は、日本の財政赤字問題にも応用可能である。しかし、学術論文が社会に役に立つのかどうか、若いときはあまり考えずに、アカデミックな好奇心を満たすべく、研究するのが自然と思う。経済学は現実の経済を対象とするが、最初から実践的に考えすぎると、「木を見て森を見ない」泥沼にはまってしまう。経済現象は複雑だから、理論をしっかり身に付けることで、真に役に立つ処方箋(しょほうせん)が見つかるだろう。