宮城県沖地震の体験~最悪を避ける行動が習慣化

板谷 徹丸   岡山理科大学 自然科学研究所
地質学 /研究領域:岩石年代学 ]

私は33年前(1978年)東北大学大学院博士課程3年生であった。学位論文をまとめる時期でもあった。6月12日宮城県沖地震(M7.4)が発生し仙台は揺れた(震度6弱)。何人かのお年寄りがブロック塀の倒壊で亡くなられた。今回の地震と比較するとたいしたことではないが、私にとって初めての震度6弱の大地震であり、大変な経験もした。

私は学生結婚しており、妻は長男を身ごもっていた。切迫(せっぱく)流産で市内の産婦人科に入院していたが、その日退院した。帰途、妻は仙台駅近くのダイエー地下食料品売り場に入った。その10分後、道路脇に車を止めて待っていた私は車の大揺れを感じた。恐竜が車を揺らしているのでは、と一瞬思った。通行人はビルの窓ガラスの落下におびえ、かたわらの交差点では、複数の車が衝突事故を起こしていた。揺れが止まり、しばらくしても妻は出てこないので見に行った。暗い売り場は、棚からの落下物で足の踏み場もない状況であったが、誰もいない。不思議な気持ちで待っていると、妻は食料品が入ったビニール袋を手下げて出てきた。一体、何をしていたのだと怒ったら、ダイエーの人が買い物客を誘導し、買い物品のレジをしていたと言う。ダイエーの商魂に感心しながら、そそくさと家路に向かった。

途中、青葉山から煙が立っているのを目撃した私は、学位論文のデータが心配になり、妻を家に送るとすぐに院生室に向かった。別な建物の研究室から火災が発生していたが、私のデータは無事であった。早速、全てのデータを持ち出し2部コピーした。自宅に一部保管し、もう一部は絶えず携行することにした。翌日、妻は切迫流産の兆候(ちょうこう)が出たので再入院となった。

その後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、2年半後に現在の研究職に就いた。上記の経験から最悪の事態だけは避けるように物事を進めるようになった。一方で、最悪でなければたいしたことではないと判断し、若い研究者に不快感を与えていることもあるらしい。

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いたや・てつまる/1946年石川県生まれ。
カリウムーアルゴン年代測定法を用いて地質・岩石試料の形成年代等を測定し、地球史に正確な時間を刻む研究をしています。この道は、現職に就いてからです。本研究では質量分析計の維持管理が重要です。大学入学前の松下電器(株)(現在パナソニック)の学校と、その後の会社生活での電気・電子の勉強が役立っています。

被災された生徒・先生方へ

宮城県沖地震の体験は、皆さんの体験と比較するとたいしてことではないでしょう。しかしながら、その体験から最悪を避ける行動が慣習化しました。皆さんも、ご自身の体験から人生観になんらかの思い入れが生まれたかと思います。皆様のご健康とともに今後の発展をお祈りします。

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