「知恵」を「理論」に育て、未来に備える~被災地における保健師の役割

奥田 眞紀子   奈良県立医科大学 医学部 看護学科
在宅看護学 /研究領域:在宅ケア、介護福祉、社会人基礎力 ]

■健康や生活の土台を支える、保健師という仕事

保健師が何をする仕事かをご存知でしょうか。保健師は看護師の資格がないと与えられない国家資格であるということも、あまり知られてはいないでしょう。

私が勤務する大学の教授が参加した被災地ボランティア活動をとおして、保健師の仕事についてご紹介します。
ゴールデンウイークをはさんで16日間、全国から141名の保健師が手弁当で岩手県大槌(おおづち)町にかけつけました。まずは、住民全員のお宅を1件1件訪問するという全戸訪問を行いました。その目的は、安否を確かめ、健康に関する困りごとを確認し、その場で解決できることは対応すること。また、高齢者や障害者の入所施設や、訪問看護や訪問介護等の居宅サービス、日中過ごす通所サービスがどのくらい機能しているか、今後再開できる見通しはあるのかという社会資源調査も行いました。さらに、婦人会や消防団などの方々から、災害時の状況や現在の生活状況についてインタビューしました。

そして全戸訪問の結果から、津波に流された住民基本台帳を復活させました。さらに、住民の現在の暮らしとニーズ、さまざまな施設の現状を分析し、健康や生活の観点から、今必要なサービスやしくみについてレポートし、大槌町役場と役場の保健師に提言しました。この町の7名の保健師さんは、全員が被災者です。目的を一つにした専門職集団が集中的に活動することで、これからこの町の保健師が行わなくてはいけないことを一気に進め、復興の土台づくりを支援しました。

保健師の活動の魅力は、そこで生活する人々に直接ふれあい、ナマの声を拾いあげ、多角的に分析し、その人たちに役立つしくみを作り、実践し、自らが結果の評価にまで関われることです。分析する方法や、しくみの考え方に多くの理論が使われますが、おそらくこの震災で、新たな防災に関する保健活動や、避難所における生活を考えるための理論が必要になるはずです。「理論」というと難しく感じるかと思いますが、ある事象をだれもが納得できる形で説明することです。そのためには、実際被災された方々の体験が必ず必要になります。被災体験者である皆さんは、これからを担(にな)う研究者、まちづくり実践者の金の卵でもあります。

■経験による知恵は理論的にも正しいと、ボランティアで確信

ところで、私も4月30日から5月2日まで、市民ボランティアとして被災地に行きました。そこで出会ったAさんについてお話しします。

Aさんがボランティアに依頼した事は、地面からの高さ120cmの外壁にくっきりついた津波の「跡」を消すことでした。玄関を入ると、掃除に使うゴム手袋やたわし、洗剤が用意されており、どのように外壁をこするかということを丁寧にご説明くださいました。そして、「作業の前にはお茶を飲む習わしがある」と、お茶と漬物を出されました。作業が始まると、ご自身が片付けをしすぎて寝込んだ経験をふまえて、「頑張りすぎず、ぼちぼちね」と何度もお声がけくださいました。お昼には姪(めい)子さんが豚汁を、Aさんも三陸つぼみ菜のおひたしを出してくださいました。

私達がそれらをいただいている1時間半の間、津波の状況、ご家族、ご親戚の被災状況、甥(おい)子さんを亡くされたこと、ご家族への思い、震災から今日までの毎日について、溢(あふ)れるようにお話くださいました。

とりわけ印象的だったのが、家族思いで仕事熱心な40代の甥子さんの死について、「なんであの子が」というやりきれない思いの語りと、「本人に人徳があったから、みんなに愛されて仕事も順調に進み、良い人生だった」という気持ちのおさまりどころについての語りを、繰り返しなされたことでした。

このAさんとの関わりは、学問的に分析できます。たとえば、Aさんがボランティアに依頼しようという考えに至っている状況は、「マズローの要求階層構造」で言えば、他者を受け入れ、積極的相互作用を果たそうとしている段階にあると言えますし、なぜボランティアに入ってもらうのか、という意味づけも明確にされていました。また、作業前のお茶の時間は、ケースワークの理論を使えば、インテーク(受け入れ)の場面であり、初めて出会ったAさんと私達とのラポール(親和関係)の形成を図る効果もありました。そして作業前の水分補給と適度な塩分摂取は、生理学的にも理にかなっています。さらに甥子さんの死の受け止めについては、死の受容段階(ショック-否認-混乱-解決への努力-受容)の「解決への努力」の段階にゆらぎながらも近づいてきている、など。

学問を活用して無理に分析すればこのようなことがいえますが、Aさんは知識としてそのことをふまえた行動をされていたわけではなく、長年の経験や人とのかかわりで気づき悟(さと)られたことを、自然と実行されていました。つまり、知識ではなく、それがすでに進化し、知恵として他者への「恵」をあたえるかかわりに、すでに発展をとげているといえます。

被災地のみなさんは被災後、それまでたくわえられた知識をすべて知恵に変えて、今日まで生活されてきたことと思います。上記に既存の理論を使ってそれらしく述べてしまいましたが、実は今回のような大災害においては表面上は同じ様相に見える既存の理論であっても、おそらくその発生起序は全く異なるかもしれません。これらについて今後必ずや研究が必要になります。現在「知恵」として実践されていることから新たな理論や考え方を導き出すことで、次に起こることが予測できたり、その対応策を考えたりすることができるはずです。そうして、未来に備え、未来を支える基礎を少しずつ創造するために学問は存在するのです。

先生への感想・質問がある場合はこちら
※◎を@に変更してメールをお送りください。
mokuda◎named-u.ac.jp

本人写真

おくだ・まきこ/1965年奈良県生まれ。
高校時代、教師の道も考え悩んだ末に看護師を選択しました。病院で働く中で、退院しても自宅で無理な生活をして再入院される方々が多いことに問題を感じ、自宅や地域で暮らしながら豊かな療養環境を整える役割を担(にな)いたいと在宅ケアに携わるようになりました。現在、さまざまなご縁を積み重ねた中で、高校時代に目指した2つの進路をあわせた職にたどりついています。

被災された生徒・先生方へ

学問や理論といわれても、今はそれどころではないでしょう。しかし、ご安心ください。通信機器や医療技術などは日進月歩するものもありますが、多くの学問は、積みあがったり分岐したりしながらもしっかり根を下ろし、あなたが興味を示すまでじっと待っていてくれます。学問は扉を開いた人すべてを受け入れてくれます。消化できない思いが消えることは決してないでしょうが、1日でも早く、被災された皆さまの心に新しい何かが入るスペースが生まれますことを、心より願っております。

本サイトは、経済産業省のキャリア教育事業の一環で作成した「わくわくキャッチ!」の独自コーナーとして、河合塾が作成し、運営しています。
Copyright(c)2011 Wakuwaku-catch.All Rights Reserved.
河合塾河合塾