学ぶことで今までとは違う自分が発見できる
原 哲也 | 京都産業大学 理学部 物理学科 |
学んで、考えて、最善の方策を見つけてその方向へ歩みだす。それが学ぶ意味ではないのだろうか?例えば、天変地異の災害があった時、それは何ゆえか?自然の災厄(さいやく)は、神の怒りの表れなのか?自らの行いに何か不都合(ふつごう)なことがあったのだろうか?昔の人は、それこそ、神社仏閣に参拝して祈ったり、またはいたずらな迷信に惑わされ右往左往(うおうさおう)したと思われる。
残念というべきか、現代のわれわれはその災厄の原因をかなりの程度まで把握できている。地震と津波の今回の被害に関して言えば、プレートテクトニクスによる地盤の動きが原因である。プレートとプレートのせめぎ合いにより、力がたまり、ゆがみがたまり、それが放出されたのだ。原因が分っているのならなぜ予言出来なかったのだろうか?ある程度は予言出来てはいたのだが、何時起こるか、またどの程度の大きさになるかについては、不確定な要素が多すぎた。それがまだ現在の科学の限界でもあり、また十分にそれを警戒しなかった人の認識の甘さでもあった。最善の方策を見つけ出せていなかったともいえる。自然が示していた兆候(ちょうこう)を、十分に学んでいなかったともいえる。
もう一度原点に戻って考えよう。なぜ学ぶのか?基本的には、まず未知なるものを知りたいという気持ちが強いだろう。学ぶことによって成長しているということが実感できるのではないだろうか?そして、学ぶことによって、今までの自分とは違う自分を発見することだと思う。昨日までは、こんなことも知らなかったのかという自分を、学ぶことにより見直すのである。学ぶことは、何かしら違う体験をすることになる。場合によっては、ますますわからなくなって、昨日までは、深く確信していた事柄も、学ぶことによって、全くその土台が壊れてしまい、何を信じたらよいのか不明になる事もある。
しかし、そこから立ち直るのもやはり、何かを学び、何かを自分の中に発見することで立ち直るのだと思う。「学ぶこと」それは、最も根源的な人間活動と思う。「学ぶこと。それは生きること」生きていく上において、学ぶことが一生続くのではないだろうか?
しかし、そこから立ち直るのもやはり、何かを学び、何かを自分の中に発見することで立ち直るのだと思う。「学ぶこと」それは、最も根源的な人間活動と思う。「学ぶこと。それは生きること」生きていく上において、学ぶことが一生続くのではないだろうか?
先生の研究室や活動を知りたい人はこちら
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~hara/index-j.html
先生への感想・質問がある場合はこちら
※◎を@に変更してメールをお送りください。
hara◎cc.kyoto-su.ac.jp