俺にできないはずはない、この瞬間にできないだけだ

浅野 裕一   東北大学 名誉教授
中国哲学 /研究領域:古代中国思想史 ]

専門柄、漢文を読みます。無論、白文(※)です。新たに出土した資料の場合、未知の文字を含んだ、誰も読んだ事のない文章を読みます。一字一字の読み方、一文一文の意味、文献全体の解釈。どこかに正解があって答え合わせが出来るはずもなく、自分の読み方が正しいか否かも自分で判断しなければなりません。己の頭脳が頼りです。蓄えてきた知識、鍛(きた)えてきた思考力、全てを振り絞って挑(いど)みます。

読めたなら、今度はそれを疑います。自分がいかに間違っているかの論証を試みるのです。何が何でも否定しようとし、それでも否定し得なかった時に初めて、その読み方、解釈をとります。タフでなければいけません。こういう事を生業にするきっかけは何だったろうか。振り返っても、特にこれという、劇的な出来事は思い当たりません。中学時代に『論語』を買って読んだくらいでしょうか。それとて、予備知識や格別の興味があったわけでなく、ただ孔子の語る人物評価、そのバリエーションの豊富さに感心した、それだけの事でした。こんなにも他人を誉(ほ)めたりけなしたりする孔子は、それはそれは偉い人なんだろうな、という程度です。

大学では中国哲学を専攻しました。なりゆき任せでしたが、選んだ以上、漢文を扱わざるを得ません。当然、読めません。でも先輩達は読んでるんですね。俺(おれ)に読めないはずはない、と思いました。ずっとそう思ってやってきました。

読もうと思っても読めない、わかろうと思っても理解出来ない。何かやろうとするたびに、出来ない、という事実を突き付けられるのですが、そのつど、今この瞬間に出来ないだけだ、俺にはやれる、と思ってやってきました。

どの専門に進んでも、やれそうもない事をやらなければならない場面は多いでしょう。そんな時、やれそうな事を探すのも手です。
しかし、何とかやってしまうのも、もちろん一つの手だと思います。タフさも身に付きますし、後者おすすめです。

※ 返り点や句読点、読みがなのつかない漢文

あさの・ゆういち/1946年生まれ。
古代中国の諸子百家の思想を『論語』『孟子』『老子』『荘子』『韓非子』などを用いて研究し、古代中国思想史を組み立てる事が私の専門です。

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